ニュースリリース

母子家庭の方、お部屋探し支援!

母子家庭住宅

今日もお子様がいて、お仕事をされてなく、親は生活保護で連帯保証人になれない方の世帯分離転居相談が入りました。離婚をして母子家庭でやり直すお部屋探しです。

私は、メイクホームグループの会長「石原幸一」です。私の父親は、母親や姉にメチャクチャ暴力をして、今では考えられない、母親は血だらけになっても、子供の為にと離婚も考えることすらなく、父親の仕事を手伝い、家事は昼間の仕事の後に、夜遅くまでやって、1日も休むこと無く働いていました。

その暴力的な最低の父親は、私が小学校の時に、近くのスナック女性と姉の為にためていた有り金結婚式資金をすべて持って失踪しました。

父親は、小学生の私に「自分は人生をやり直すから死んだと思ってくれ」と一方的にいい放ち出て行きました。私はその日から、父親は必要ないが、父親を二度と家には入れないこと、もしもどってきたら殺してやると心に違い母親を守って来ました。

片親だから、クラスから物やお金がなくなると、先生からもただ片親で貧しいからと疑われて、担任が許せなく殴りかかりました。父親から母親を守るため中学生の私は、毎日、バーベルを上げてメチャクチャ体を鍛えていたので、若い担任男性先生でしたが、一瞬で制圧しました。

中学生から高校生になり、昼間の鉄工所のバイトと夜の立ち食い蕎麦屋のバイト、合間に陸上部をやり、高校生の三年生へ、進学クラスに入り周りのクラスメートは、大学や専門学校へ進みましたが、私には母親を守る必要があり、給料の比較的高い工場「中村製作所」に就職をして、休み時間や昼休みも一切取らなく働きました。

本当は、アメリカに行きたかった。世界で自分の力を試したかった。しかし、肉体労働で私を高校まで出してくれた母親の体は、私が18才になる頃にはボロボロで、私が働く選択肢しかありませんでした。

私は、高校を出てから工場に努めて、独学でプログラミングを勉強し、システムエンジニアになり、20才の時に、300万円を資本に「有限会社石原医療システム」を起業しました。日立メディコの超音波診察機械のソフト開発を請け負ったのが初めの仕事です。社長になり、業態変更を時代の流れに沿って行い、その起業から私は35年が経過して、55才の私は「メイクホームグループ」を率いて、貧困世帯、生活保護、独居老人、母子家庭、難病患者、障がい者を居住支援する業界トップ企業の会長になっています。

貧困格差が生じないように、私の経験から特に母子家庭の生活を守ることは私の宿命です。

 

  • メイクホームグループ 石原幸一

【メイクホーム株式会社】

【株式会社エースルーム】

【エース・リアルエステート】

【エース引越サービス】

【合同会社緊急連絡先協会】

 

  • 早稲田店

〒162-0041

新宿区早稲田鶴巻町557-3 新宿富久ビル4F

居住支援専用受付 ➿ :0120-118-814

 

  • 綾瀬本店

〒120-0004

足立区東綾瀬1-4-11 パルローヤル1F

居住支援専用受付 ➿ :0120-100-234

 

  • 横浜支店

〒221-0052

横浜市神奈川区栄町2-1 キコー横浜ビル7F